彼の生き様

独学徒であるぼくにとっては、菊竹清訓さんの活動から多くを学ばせていただいた。それは単に建築についてではなく、生き方に関わっている。ひとつのエピソードだけにとどめるが、事務所の所長でありながら所員の給与捻出のため他事務所でアルバイトしたという伝説は、独立するうえで決定的だった。
有名な「か・かた・かたち」というテーゼで示されるユニークで論理的に明快な形態生成方法―今風にいえばアルゴリズミック・デザイン―についてひとこと書くとすれば、菊竹さんは、その着想を同郷マルクス主義物理学者・武谷三男氏から得たといわれる。背景には、倫理的及び政治的に、ただならぬものが、ある。この「方法」はいまでも通用すると思うけれども、それは彼の執念(詳細は割愛するが、敗戦でマッカッサーに先祖代々の土地を奪われた怒りを死ぬまで保持されていた)の昇華だと考えられるので、そこを弁えないで、三段階論だの環境だの、まして伝統など、観念をこねたところでなんにもならないとはいえる。