建築批評①

以下の短文は、建築専門誌『GA JAPAN 59 11-12/2002』に初出したものであるが、10年の区切りでもあり、ここに再録することとした。加筆修正の必要はだんじてかんじてない。原文まま。

安藤忠雄さんの「兵庫県立美術館」に行きました。率直にいって、安藤さんの最近の作品の中では、失敗作だと言わざるを得ないと思いました。といっても、「テアトロ・アルマーニ」、「ピューリッツァー美術館」、「司馬遼太郎記念館」といった、いわば成功例を、ぼくは紙面で見ただけなので、フェアな評価とは言えないわけですが。

だから、とにかく、ここでは、「兵庫県立美術館」の現場で感じた事だけを具体的に書くことにします。

◇まず、プログラムの規模が要請する当然の帰結として、デザインが大味になってしまったと感じました。いわゆる「ビッグネス」の問題。やはり、コンクリート打放しのデザインは、あるスケール(住宅まで?)を超えると、全部ダメになってしまうのでしょうか。一方、全体のプランが大雑把な割に、動線が分かりにくく退屈だったりする。このあたりも、「TIME'S」のような巧みな迷路性を思い起こすとき、目もあてられなくなります。また、素材の扱いも気になりました。ガラスに包まれたコンクリート・ボックスというのはなかなか壮観なのですが、基壇部の御影石の積み方などは、どうみても甘いと思うのです。

あるいは、鉄についても、(これも実物に触れたことはありませんが)ミースの「ナショナル・ギャラリー」などとくらべると、中途半端というか、ストイックな緊張感が全然伝わってきませんでした。実際、あの生易しい感覚は何だろう。これは案外、人間性の問題かもしれない、と思った。磯崎さんなら、もっと徹底的にクールに仕上げただろう、とも。全体的な印象として、地元に、可もなく不可もない公共建築がひとつ増えたということを感じました。

なお、「神戸市水際広場」については、そもそも、プログラム自体がおかしいと思います。そこから見えるのは、阪神高速排気ガスまみれの高架橋と、摩耶埠頭の倉庫群と、汚くにごった海水だけなのだから。神戸空港が完成すれば、瀬戸内海はさらに汚染されるっていうのに。

◎「兵庫県立美術館+神戸市水際広場」(安藤忠雄)、「サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン2002」(伊東豊雄)、「スガルカラハフ」(宮本佳明)、「東京・小説 第四話」(隈研吾)、「ヴェニスビエンナーレのコンセプト(◎印は関心をもった作品・記事)