建築批評③

以下の短文は、建築専門誌『GA JAPAN 67 03-04/2004』に初出したものであるが、10年の区切りでもあり、ここに再録することとした。加筆修正の必要はだんじてかんじてない。

◆比較的寒くない冬の午後、竹山聖の「大阪府立北野高校六稜会館」を見にいった(外観だけ)。が、よく判らなかった。はっきり言えば、ぼくは以前から竹山聖という人が判らない。幾つか疑問点を挙げる。
 まず形態から。ル・コルビュジエ風でもあるが、平面図は野球場みたいにも見えるといったところが特徴か。歩道橋に上ったり、公園から眺めたり、デジカメで撮ったりしたが、うまい写真にならなかったのは、結局のところ被写体のせいだろう。日のあたらない北立面だけの印象になってしまうが、少なくとも拍手や感涙どころではなかった。八〇年代の作風と比較しても、コンテクストが異なるはずなのに、方法的な差異が感じられない。浮遊した球体の断片を支持する鉄骨柱も太いように思われた(右端の一本だけスパンが違ってみることに、ぼくは気がついた)。
 また、周辺環境のことだが、阪急電車の駅から向かう途中、ドン・キホーテやラブ・ホテルなどの醜悪な建物が目についた。打ち放しコンクリートの外観は、それらへの挑発や防御の形式だろうか、無関心さの顕れだろうか。それは孤高なようでもあるが、鈍感さと紙一重なようでもある。それらは案外どっちもどっちで、一本のロープの両極の事象に過ぎないのかもしれない。十三の廃墟。竹山氏自身のテクストに迫る限り、このようなことより、ひたすら伝統的・文化的なコンテクストが特権化されるばかりで、都市空間への言及は絶無に等しい。気恥ずかしさや古臭い印象を禁じえないこのテクスト(特に、「人間の知は球体の断片たらざるを得ない」とかいう下り)から読み取れることはせいぜい、伝統ある進学校の出身者であり、OBにも偉い人々がたくさんいるのを自慢していることくらいだ。言うまでもなくドン・キホーテなど下らないし、否定も肯定も自由だが、それらに対するマニフェストはついに見あたらなかった。竹山さんは、小さな伝統主義者に成り果てたのだろうか。