アドルフ・ロース

ミュラー邸をめぐる経験は明るくて楽しいものだった(ヴォランティア女子大生ガイドさん+ビジター僕一人てこともあり)。プラハの高台に残るこの住宅は、現在、大変きれいな状態で保存されており感動した。

ミュラー邸のみならず、ロースハウスでもクニーツェでも、ロースの建築が持つ明るさや快適さを決定づけている要素は木材である。

建築博物館に一部保存されている部屋はなんだか古ぼけているし、アメリカンバーのカウンターに使われていた木もかなりぼろかったけれど、いまは銀行の店舗になっているロースハウスの主階とミュラー邸は目が覚めるくらいに修復されている。

あるいはクニーツェやロースハウスのファサードには大理石や真鍮が贅沢に使用されているわけだが、柔らかい木材と同じように上品に仕上げられている。

ということは、ロース建築の特徴を木材だけに限定する必要はないわけだ。訪問者は、それぞれの素材に対し、その都度、自己の感覚を反応させ、物質と身体との相互作用を自由に楽しめばよい、そういう気にさせられる。

「住宅は建築か」という問いがあるが、たしかにこの住宅をめぐり歩いていると、オーソドックスに、ふつうに作ってあると感じる。書斎の机にはポストみたいなユーモラスな手紙入れがこしらえてあったり、子供部屋はカラフルだったり、優しすぎる。

「装飾と犯罪」のような激しさがこの家にはない。批評性がないのだ。