多木さんのこと

訃報をつたえる小さな記事で知ったのだが、終の棲家は湘南のアノニマスな一室だったそうで、海が好きで慎ましい多木さんらしいと思った。

海軍兵学校出身者名簿にもその名前をさがすことができる。http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub2-29.html 8月6日に原爆が投下された時にはたぶん呉(江田島)にいたのだろう。)

今回の東北地方の大津波を、彼はどんなふうに受けとめただろう。繁栄する世界の内側に潜むカタストロフについて書きつづけた多木さんにとっては、予言でなく、論理的な推論reasoningの結果であったにちがいない。これをMysteryととるかは解釈による。彼自身はこのことを「歴史の無意識」となざしてきた。三文小説を読み散らかしてきた乙女及おば様[アリアドネー]の鏡にうつった世界がひらいていた。われわれは今後とも美学的で上品な方角へおもむくことだろう。

地震発生後、『最後の航海−キャプテン・クック ハワイに死す』をぼくは読み直した。

また、海について書かれた文章をみつけた。http://tenplusone-db.inax.co.jp/backnumber/article/articleid/796/('95年春発表。)

葬儀・告別式は行うな。これも多木さんらしい。ほとんど葬式に出なかったという白井晟一のエピソードに対応させたくなる。http://shiraiseiichi.jugem.jp/?day=20110130 きっと仏教への苦手意識、そのうらはらなカトリシズムへの憧憬という点で。これは信仰の問題ではない。


晩年の氏は、たしか2006年から、神戸芸術工科大学で、特別講義を行ってきた。

幸運にも、ぼくはその講義を何度か聴くことができた。

1度目は建築家レム・コールハースについて('06/11)で 、

2度目はイタリアの都市トリノについて('07/11)だった 。

コールハースはともかく、トリノという都市についてのぼくの知識は、あの時の講義がすべてだといってもよい。

あのとき、最後に一言だけ、地震から復興した神戸のことに触れられた。ちなみに、多木さんも神戸市のご出身なのだ。旧制中学を出て以来ほとんど顧みることはなかったようだが、それはぼくには身に沁みてわかる。埋立地ポートアイランド六甲アイランド等)に象徴されるように、要するにホンネを建前で蓋してしまうだ。とにかく人間がダメであり、それは3.11後もついに変わらなかった。ぼくもやはり故郷を捨てるかもしれない。

脱線した。3度目('09/06)に大学に出かけてみると、講師の体調不良のため、休講、延期になっていた。(おじいちゃん先生らしいでとイチビリを発揮した学生がたしか居て、今も昔と一瞬だけ美大生時代がブルーに追想された。ここではどうでもいいことだが。)

その日は、これ以外にスケジュールがなにもなかったから、そのままひきかえすほかなかった。

前々回も風邪気味を唯一エクスキューズされ、ご高齢でもあり、あるいは、かなりお悪いのでは、とも覚悟した。

いまウェブ検索してみたら、テーマは、「20世紀の芸術 −身体−」だった。

その後も、次回のお知らせはきかなかったし、この時期、唯一、雑誌「大航海」でやっていた連載(未来派論)もなくなってしまったので、今日まで、さみしく過ごしていた。

ふりかえってあとからわかるというものだが、きっと、「戦争論」(1999)とクックの研究(1998-2003)が、人生最後の仕事だったんだと、あとからはわかる。


ぼくが多木浩二の著作を読み始めたのは進むつもりのなかった大学に入ってからだ。記憶が正確でないが、「眼の隠喩」だったか、「シジフォスの笑い」だったろうか。

いろいろあり5年在籍した芸術関連のその山の学校でも教えていたそうで、その気風は、ぼくが学生の時分('97-)でものこっていたように思われた。

恩師などという言い方は思いもよらないけれど、ほとんどただ一人敬意を払っていた映像学の波多野哲朗教授(当時)から、1,2度想い出をきいた。

美術にせよ写真にせよ建築にせよ、同時代のどの評論より知識も豊富(とはいえ、ことわりをつけると、物知りともアカデミズムとも似て非なる学究だ)、歴史の射程も遠くて、哲学的にも吟味されていた。

しかも、それ以上に、たとえば対象となる形象が一貫してややノーブルにとらえられ、硬派な文体で論じられているところが、學ぶ者として、氏の本を特別に大事する理由だった。

その「世界」をあえて喩えるとすれば、やはり「海」のメタファーになるのではないか。

文庫版『生きられた家』のあとがきに、彼は、「人間の生きる世界のことについて考えていた」と書いている。それはいつでも氏にとってのはじまりの立場だっただろう。

読書しながら、ぼくは、なによりも他者をリスペクトする気品を体得しようとしていたのではないだろうか。


彼のような人物(著述家)のばあい、その仕事、すなわちテクストが全てという意見もあるだろう。

が、ぼくには、たった2回の講義でおみかけすることができた氏の印象をぬいて、そのテクストを読むことなどもはやできない。

つまりフォルマリスティックに読むことはできない。

78,9歳とはおもえないしゃべり方や歩き方、まなざし、着こなし、集中力といったものを側頭葉から呼び出して、もう一度、白紙で、残された多くの作品を、ゆっくり、あるいは光速で、読み直してみたいと思う。きわめて難解にもかかわらず、ていねいに慎重に読んでいけば、ついに、自分だけに「秘密」を開示してくれるような小さなhumanistとでもいうべき、しらない理解者だったから。

そのこと以上にsweetですがすがしい体験は、おそらく、ないと思う。


経験したことがないから経験させろと事あるごとにぼくはいってきた。さいしょはだれでも未経験者だからである。フト気づけばこれはなんだ?「忙しいことは善い事」とのどさくさのなかで、「心」「子」を「亡」してしまったのか。こうした局面だからこそ、まだ、芸術・思想について書かれた本を読んだことがないという諸君には、まず、多木浩二の手掛けた美しい書物群から勉強に入ることを自信をもって薦めたい(「ヌード写真」か、「雑学者の夢」か、なにか)。


多木さん、ありがとうございました。