ベルリンの建築1

ノイエ・ヴァッヘ

なかに入ったのは午後2時ごろだったろうか。ウンター・デン・リンデン通りのこのエリアは、白井晟一も通ったベルリン大学(玄関ホールにはすごい哲学者の有名な文句がかがやき、にぎやかな中庭にはレジスタンスの記念碑が建つ)やナチスによる焚書事件があったベーベル広場(ミハ・ウルマンによるメモリアル―立ち入ることの不可能なまっ白で空の本棚による図書館―は優れたものだ)などが存在するいい場所で、それらを見物したあとだ。

パンテオンを模した天窓から入ってきた自然光は奥の壁に落ちていて、少しほっとした。正午前後だったら、光はちょうど中央に設置されている彫像に降り注いでいただろう。それではあんまり象徴的すぎて、興ざめしたかもしれないと思われたのだ。6月始めのドイツというのに気温は30度近くまで上がり日射しも強かったが、光線は急所をはずれており、そのことがかえって空間を不気味にしていた。

写真から想像していたより実際のサイズは小さいと感じた。かといって圧迫感をかんじるほどではない。スケールもプロポーションもぎりぎりに制御され、緊張感にあふれている。床の石畳のパターンがランダムな分、壁の厳格さがより強調されている。問答無用で動きを封じられるほかない。中央の彫刻作品はケーテ・コルヴィッツピエタでなければならないわけではないが、そこにあるべきである。見る者の背後から、闇の空間が襲いかかってくるからだ。

ただ、記号学的・社会学的にみれば、このイコンには国家によって操作・捏造された記憶がまとわりついているともいえる。注意すべきなのは、「戦争と暴力支配の犠牲者のための追悼施設」は、けっしてここが絶対で唯一というわけではないということだ。にもかかわらずノイエ・ヴァッヘには、このような空間だけが祈りの空間としてふさわしいと思わせる力、シンケルの建築による力がある。