ベルリンの建築2

タウト

まずノイケルンのジードルンクに行った。中心部から少し南下して、カール・マルクス通りを何ブロックか入った先。地下鉄の出入り口が位置する交差点には日本の駅前にあるのと変わらない酷いデザインの商業建築があってどこも似たようなものか。ただタウトの建築は、最近修復されたこともあるのだろうが、一際まぶしかった。だいたい、ホテル(ジードルンクのコンヴァージョン)からみえるジードルンクも、「タウトっぽい」のがあったし、辺りにもやはり影響を受けたものが建っているのだが、それでも本物はやっぱりちがうものだ。メンテナンスのコストがちがうとかいってしまえばそれまでだけれど、大切に使われ、住民からも静かな誇りが伝わってきた。

ところで、この建築の特徴は都市のなかのジードルンクであることだといっていい。彼の他のジードルンクより規模も小さいし、派手なカラープランもない。アドルフ・ロースの住宅のように「外部に対しては沈黙している」ようにもみえるが、ファサードに緩やかなカーヴをつけるところは表現主義らしい。コの字型プランの横長のヴォリュームの両端は託児所と歯医者さんになっていた。

そして中庭である。初夏のベルリンは、ティーガルテンで休んでいても、強制収容所への特別列車が発車した17番線の残るグルーネヴァルト駅まで足を伸ばしても、とにかく濃密にして明るい緑に圧倒された。この中庭も、ほとんど小さな森のように緑に覆われていた。そもそも中庭という仕掛けがうらやましい。一歩入ると別世界のように静かで、こどもの遊び場としても安全。だがそこにとどまっていてはいけない。都市の快楽は中庭と街路との交通にあるのだ。だからかつてベンヤミンは書いた、「その境界からベルリンは始まる」と。

次にブリッツに行った。同じ地下鉄で3駅ほど郊外に出るだけである。さすがに乗客の雰囲気もポツダム広場やクーダムあたり(ヨーロッパの街並とはいえ、どこも現代は超資本主義が勝利しているので高級ブランドが集中する通りなどはうんざりする)とはちがってドイツ的(田舎的?)になってきた。外に出るとすでに森だった。このジードルンクはそれ自体が一つの都市である。さまざまなシュティルを実験している面白さもある。全景をとらえるのはあきらめた。森の中に住棟があるのか、住棟の間に緑があるというべきか、おそらく住民にも、今ではどちらでもよくなっているのではないか。緑と光と影のなかに散乱する色彩、木洩れ日を背中にうける老人、リスのように芝生でころげ回る高校生のカップル。かれらは意識しないかもしれないが、すべてはタウトの建築が待ちうけた場面なのであり、現在では信じ難いことだがここに建築のソーシャリズムがある。