ベルリンの建築3

ジューイッシュ・ミュージアム

この建築についてはすでに多くのことが語られているので、建物の構成についてもひととおり頭に入っているつもりだった。エントランスになっている隣の旧ベルリン博物館からアプローチする。そこから地下通路へつながる暗く長い階段を下りる。新古典主義様式の導入が一気に脱臼され、斜線だけでできたストイックな空間がはじまる。地下では3本の軸が交錯している。壁も床も不安定に傾いていて、すぐに動線が分からなくなった。というか、無方向的に走る線に引き裂かれるうちに、この博物館には動線などあってないんだろうと勘違いしてしまった。「お勉強」が役に立ちそうになくなってきたので、とにかくさ迷ってみることにした。

すると、いきなり特別展の展示室に迷い込んでしまったようだ。壁にも天井にも無数の細かな亀裂が入っている。さらに作品を展示したパネルもジグザグにレイアウトされているので、複数の斜線でズタズタになった、見通しのきかない狭い空間を進んでいくしかなくなる。そうやってようやくこのシークエンスを抜けると、メモリアル・ヴォイドと名づけられた空間に出る。

いままでの蛇行しながらのびていく空間が行き止まりになっていて、緩いスロープをあがって180度向きを変える。と、そこには鋭角的なコンクリートの壁で囲まれた吹抜けの空間が待っている。奥に行くにしたがって壁は狭くなっており、薄暗い。床には表情を奪われた無数の「顔」が敷き詰められており、残酷にもそれを踏みしめながら歩かなければならない。怖ろしいのは、この鉄製の「落ち葉」(これがこのインスタレーションのタイトル。ところでドゥルーズは「雨がふるように人は死ぬ」といったが、このタイトルにはそんなドゥルーズ的な意味も込められているのかもしない)の音である。足で踏むたびに、顔同士がぶつかって出る金属音が悲鳴のように響くのだ。それは、記憶の不在についての空虚にして戦慄的な体験である。

ここから一旦引き返して長い階段を昇る。頭上にはクロスした梁が露出し、壁には十字架やスリット状の開口が穿たれている。3階まで昇って常設展示がはじまる。階段は正面の壁で中断されたように終わっている。そこからは一筆書きのように進む。展示品は多すぎるくらいだ。引っかいたような開口部からは隣接する集合住宅や空が見えるかと思えばメタリックな外壁が見えもする。地面すれすれのところに開けられた窓もあった。

再び地下レベルまで降りてきて、また別の軸を進むと、ホフマンの庭にでる。コンクリートの列柱が並ぶ空間で、アイゼンマンがホロコースト記念碑(虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)のアイディアとして参照(剽窃?)したとされるものだ。ここを体験した後ではホロコースト記念碑が緊張感に欠けるのは否定し難いのだが、またちょっと意外な印象も受けた。ベルリンのど真ん中に巨大な規模で建設されたこのモニュメントは、背の低い石碑はベンチ代わりになっていたり、無料で24時間どこからでも出入りできるなど、公園みたいな存在になっていたのだ。波打ちながら高くそそり立つ黒い石碑に押し潰されるような圧迫感は期待できないものの、これはこれで成功といえるのかもしれない。

一方ユダヤ博物館にも、ホフマンの庭の外にも庭園が広がっていて、お花でいっぱいの芝生に座ると少しほっとすることができた。