トウキョウ・ソナタ
目が覚めて 全然ちがう自分だったら どんなにいいだろ(セリフから)
「時代閉塞の現状」にもっとも真摯に対峙している表現者を1人挙げるなら黒沢清になるのではないか。表象の強度に戦慄しつつ、「トウキョウソナタ」は1本の映画にしておくのは惜しいほどで、いよいよ漱石やドストエフスキイのような作家を想起させる仕事である。
登場人物は観衆同様迷いまくっている。迷いすぎはよくないかどうかもいい切れないくらいに。つぶれるようなものはつぶしまおう。そうやってバラバラになったものがなお、一瞬ひとつになったら奇蹟だから。
物凄ー可笑しい階段や車のシーンとかを撮れる才能があるのにまだ迷いなんてぜいたくな監督ではある。食事のシーンでは「家族ゲーム」を過去のものにしてしまっている。作品の終わらせ方は芸術史上なかったものではなかろうか。作る立場としては、空港でロケできないのならリムジンバスの乗り場でやればいい、とかちょっとした部分でも励まされた。humourたいせつやで。