チェルシーで退屈する

地下鉄でグリニッジ・ヴィレッジまで戻ってくる。低層の赤レンガがつづいて落ち着く景観。再び曇り空に。12:30。

地上に出ると方角を喪失するが、たぶんこっちと歩きだす。目になにかささる。あれか?・・・やっぱり。オーラを感知する建築アンテナの性能は上がってきたろうか。ささったと感じたのは三角地に立つ石上純也(売れっ子)による「ヨージヤマモト ニューヨーク」の立面である。内面は閑古鳥。新聞報道に触れたのは帰国後だが。とうとうパラついてきたのでメガネをポケットにしまってフードをかぶって早々にバイバイする。ぼく石上さんという人わかったかな。

お腹も減ったし屋根と暖ももとめて、レストランを探す。歩道でベビーカーの女の子(気のせいかもしれない。ニューヨーカーは、かなり大きくなっても乳母車に乗っている。)が体をこわばらせている。「cold?」うんうん頷く。「me,too.」自分なりに書き込みもした白黒コピーの地図によると、ガイドブックでたしか「非ファストフードのバーガーならここは?」と紹介されていた店が近くにあるはず。しかしここら辺はちょうど条理空間がこわれていて方向が怪しい。神戸とちがって山もない。4時の方向に進みたのだが。行きづまっていたら、通りすがりのジャケットがエメラルド色がかっこいい老婦人が助けてくれた。発音のよさに感激した。なまってるやつも多いから。「me,too.」

コーナー・ビストロは案の定コーナーにあった。ビストロ・バーガー$7。分厚いハンバーグ、ベーコン、チーズ、トマト、レタス。付け合せにピクルス。味付けがほとんどゼロ。自力でケチャップマスタード胡椒しなはれか。お味は、ううん、いや、えーっと、あっとねー・・・。別に全然不味くない。完食したからね。

出ると雨は上がっていた。ハイラインまで歩く。高架橋を公園化したリノヴェーション。線路も一部保存してある。パブリック・スペースが少ないと批判されつづけてきたニューヨークなりの解答(他に、タイムズ・スクエアやフラット・アイアン・ビル前にも作られていた)。スーパーの巻き寿司を広げている家族なんかも。これでいいわけだ。強いアメリカ、そんなもんなかなか出っくわさない。空中を歩くのは爽快である。


そのままさらに徒歩で北上してチェルシーの画廊街。ぎょうさん営業してはる。が、ふらっと入って、出てこられる雰囲気はニューヨークならではなのか。コーヒーを持ったまま入ってくる人や映像作品のベンチでパンを食べる人や。パーカーのメガネ男子や。チェックしておいたギャラリーにはひととおり入りたおす。途中の「コム・デ・ギャルソン ニューヨーク」もガラガラだったけれど(もっとも水玉黒パーカーに向こうさんも用はないだろう。Made in china)。ミニマル、コラージュ、写真、オブジェ、ペインティング、・・・。ひととおりのメディウムは散歩した上でぼくには退屈だった。様々なる意匠。わかる。いや、ぼくにわかられているようじゃあかんのだ。ニューヨークの苦悩がここにも露出している。もっとも世界的に総負けなわけだけど。ほろ苦い気持ちで帰ることになってしまった。この街に、また、来られるだろうか。